日本酒の醸造もしっかり勉強していくことが大切と気づいたので、醸造学的観点から日本酒のことを解読しく企画。
まずは原材料である米についてから。
vol.3 - 蒸し方
米は硬い米か柔らかい米かで一定の選択をされたあと、必要な量だけ精米されました。その次は水を吸わされて、蒸されていきます。今日はその蒸し方とそれがもたらす結果について。
そもそも蒸すのと、炊くの違い
米は炊くもの。それ以外はピラフのように炒めてから煮るようなもの。そう思い込んでいた日も長かったです。日本酒醸造ではべちゃべちゃするから蒸す、と聞いたことも多かったです。外硬内軟にするために蒸す、というのもよく聞きました。
なんとなくは分かるけど、本当に理解出来てるかなと。
水少なく炊けばべちゃべちゃにはならないんじゃないかと思ってませんかと。
蒸す:蒸気が米にあたり、米の外側から熱が内側に入ってくる。外側は揮発熱によりすぐ冷めるため熱が入りづらい上に外側の水分量も少ない。内側は熱が閉じこもり糊化(α化)が進んでいく。
炊く:水分に常に米が接しているため、外側の糊化も素早く進み全体的に柔らかい米になる。その分、水分量も多い。
こういう違いになる。
蒸す最大のメリットは炊くことより米の外側に熱と水分を含ませすぎないこと。これが麹菌との関係性に影響し、お酒の仕上がりにももちろん影響してくる。
糊化(α化)とは
穀物は一定水分と熱を加えないと食べられない。正確には食べることはできるけど、カロリーに出来ない。どうしてか。腸内の微生物がデンプン質を分解できないからだ。これももっと丁寧にいうと、微生物が保有する酵素がデンプン質にアクセスできないからだ。
穀物のデンプン質に微生物が保有する酵素がアクセスできるようにするための最初の工程が糊化[α化、以降変換が面倒なのでα化]という。
α化は水分と熱が必要な反応。
穀物ごとにα化に必要な温度が異なり、米は比較的高い方。ビール醸造でシリアルマッシュと呼ばれる技法があって、米などのα化温度が「マッシング温度 - 70℃くらい」より高いものは最初に茹でたり炊いてから、マッシングします。これはα化温度が低い状態ではマッシング出来ないからです。
脱線した。
穀物ごとのα化する温度はとても重要ということ。
どうしてα化しないと酵素がデンプンにアクセスできないのか。
実は穀物のデンプン質は非常に混み合って形状で、隙間が少ない状態です。そこにお湯を注いであげるとデンプン質に隙間ができて水分保水量が変わります。その水分が入っている隙間から酵素が入り込めるのです。
カップ麺の状態では箸入らないけど、お湯入れたあとは箸通るもんね?(ん?)
外硬内軟が良い理由
炊かずに、あえて蒸すのは外側の水分量と熱量を抑えるためのよう。過度な水分量を含ませない理由はどこにあるのでしょうか。
- 麹菌がつきやすい
麹菌は好気性なので酸素を求めます。水分量が多いと僕達人間が海に住めと言われているようなもので、難しいのです。
また、麹菌は粉状に撒かれるので水分量が外側に多く粘着した米同士には表面積が少なく、広がる幅も減ります。結果的に、麹菌を多く生育するというのに不向きに思えます。
麹を考えたときには蒸すことにより外側の水分が蒸発しやすく乾きやすい状態を作るのが重要なようですね。
- 麹菌が心白に伸びすぎない/複雑で旨味のある酒になる
麹菌は米の中心に根を伸ばし酵素を生み出し、でんぷん質やタンパク質を分解していきます。一見醸造に向いてるように思えますが、米の外側が柔らかく中心部まで到達しやすい状態はでんぷん質でほぼ構成されている「心白ばっかり」酵素反応が進んでしまいます。
結果的に米の外側に豊富なタンパク質は分解されづらく、アミノ酸は減ってしまいます。アミノ酸は旨味のもとですので、外側が柔らかい米は淡白な味わいになりやすいようです。
- 発酵がゆっくり進む
上記の理由にも近いのですが、外側が硬いお米は心白まで麹菌が達成するまで時間がかかるため糖分が酵母に補給されるスピードもゆっくりです。結果的に発酵もゆるやかになります。
発酵がゆっくりなほうがいいのか、と言われると色んな角度でyes, noがありますがお酒の質という意味で言えば良いことが多いです。オフが少なく、低温(になりがち)な環境で健全に進んだ発酵は高級アルコールが少ないことも分かっています。高級アルコールは"ツン"とした香りを演出するので、酒臭い要因となります。
上手に蒸すのがとっても大事な気がした
ビールにおけるマッシングと同じように蒸すこと一つとっても重要なステップであって、そこにたくさんの科学的な理由が潜んでいるのもとってもよかったです。
蒸す水の水質によっても結果が変わるようですが、多分あってるんだろうけど、研究が少なかったこととパラメーターが多すぎて「???」なこともあったので取り上げきれませんでした。
水についてはまた今度。