道後温泉のすぐそばにある〈麻とき〉は、朝ごはんとワインを楽しめる、やさしい場所だ。

無添加の食材を使った朝食。自然派ワイン。
けれどこの店の本質は、“珍しさ”や“コンセプト”ではない。
そこに立つ村上さんの在り方そのもの。
売れるから、では選ばない
村上さんは言う。
「これを置いていたら売れるだろうな、というワインは、あえて置かない」
自分の中で共鳴した人のものだけを扱う。それが〈麻とき〉のセレクト基準。
知識で語るよりも、「その人、その作り手がどんな人生を歩いてきたか」を語る。
ワイン全体の解説は最小限。でも生産者の話なら、いくらでもできる。
村上さんは勉強不足なんですと控えめにいいますが、 それは村上さんの真摯な選択の結果であり、 大切なものはなにかを考え抜いたうえの行動でした。
自然からのメッセージを受け取るために
色んな点がありました。人生の節目をいくつも通り過ぎる中で、
村上さんの関心は、いつも「自然」に戻っていきました。
「私たちは、何かしらのメッセージを受け取って生きている」
ワインも、ミードも、朝ごはんも、そのメッセージを受け取る“媒体”のようなもの。
だから、自分の人生と重ならないものは扱わない。
人は、分からせようとすると離れていく
村上さんが語る「愛」は、とても静かです。
理解してもらおうとしない。正しいことらしさを押し付けない。条件付きの「YES」を求めない。
「分かってもらおうとすると、分かってくれなかったときに、腹が立ってしまうから」
代わりに大切にしているのは、好きになってもらうこと。
体にいいから、ではなく。
環境にいいから、でもなく。
ただ「なんか好き」と思える入り口を残す。
その理解が、もし少しズレていたとしてもいい。
お酒を通して、人生が少し変わる
店を続けて7年。村上さんのもとには、こんな声が届くようになった。
「人生観が変わった」
「気持ちよくお金を使うことを考えるようになった」
「自分の暮らしを、ちゃんと好きになれた」
強制されたわけでも、説得されたわけでもない。ただ、好きなものに出会っただけ。
愛とは、余白を残すこと
〈麻とき〉の朝は静かだ。
押しつけがましさも、正解もない。
あるのは、自然と人を信じる姿勢と、好きになる余白。
愛とは、分からせることではなく、好きになる時間を信じること、なんじゃないかと思いました。