愛とは、“好きになってもらう姿勢”。理解より、流れを共にすること。 - 養紡屋 塩見亮太さん

国産蜂蜜が危機にある。

塩見さんは、今の状況を「災害」と表現しました。

病気、環境の変化、流通の仕組み。単純な善悪で割り切れない複雑な流れの中で、蜂は減り続けているようです。

けれど、彼は決して誰かを責めない。

原因追及よりも先に、必ず“流れ”を見る。

「事実を伝えて誰かが悪者になるのは、違う。」

世界はもっと連続していて、“いま”という一点だけで判断してしまうと、大切なものを見落としてしまうから。

 

 

理解させようとするのは、愛じゃない

塩見さんが語る愛の哲学は、とてもシンプルで深い。

「愛は “分からせること” じゃない。」

「好きになってもらうことだと思うんです。」

人に何かを伝えるとき、「理解してほしい」という気持ちは強く生まれる。

でもその瞬間、“分かってくれなかった相手”に腹が立つ構造が生まれてしまう。

理解が届かなかったとき、伝えた側は悲しみ、受け取った側は責められたように感じるかもしれない。

塩見さんは、その循環をとても静かに否定します。

「好きになってくれたなら、その理解がたとえ間違っていても、 本質は合っているんですよ。」

好き、という気持ちは“相手を肯定する準備”そのもの。それは、頭ではなく、流れのなかで自然と育つもの。

 

蜂蜜も、養蜂も、人も、愛も “流れのなか” にある

家族ができたことで、世界の時間軸が大きく変わったと塩見さんは言います。

「自分だけの世界で完結しなくなった。 この子が生きる未来まで、自然と考えるようになった。」

「オーガニック」や「無農薬」といった言葉はきっかけにすぎず、本質は“より良い流れを次の世代へ手渡すこと”なのではと。

流れを良くしたいという“意思”。

その意思こそが、行動を作り、蜂の未来や、人の未来につながっていく。

蜂蜜づくりも同じ。

抗生物質を使わず、自然に寄り添い、蜂たちの生きる力を尊重する。

効率ではなく、流れを見る。

即効性ではなく、継続する。

その姿勢そのものが、塩見さんにとっての愛なのではと思い話を聞いていました。

 

“好きになってもらう” とき、愛は自由に

理解は押しつけることができる。

けれど、“好き”は押しつけられない。

好きになってもらうためには、相手の速度に合わせ、相手の感じ方に委ねる必要がある。

「好きだと思ってもらえるなら、 その解釈がたとえ間違っていてもいい。 そこに愛があるんじゃないか。」

分からせることには条件がつく。好きになってもらうことには自由がある。

塩見さんの愛は、「正しさ」から生まれるのではない、知ってもらうこととも言えます。

 

おわりに:愛は、正しさではなく、流れを共にすること

蜂蜜の世界には、自然の時間、花の時間、蜂の時間がある。

その流れのなかで仕事をしている塩見さんの言葉には、どこか“自然のリズム”のような穏やかさがある。

愛とは、正しさを押しつけることではなく、理解を強要することでもなく、

“好きという気持ちが自然に生まれる流れをつくること”。

それは、生き物にも、人間にも、未来にも向けられる愛。

塩見さんの蜂蜜がいつも柔らかく、優しい味なのを理解できたような気がします。