日本酒の醸造はビールやミードとはもちろん異なり、複雑で魅力的な側面が多い。このコラムではそれらの要素をなるべく理論的に噛み砕き、理解していくことにしたい。
今回は酒母の意義について。
そもそも酒母とは
酒母というのは、日本酒を造る際に、酵母を増殖させて発酵を安定させるために仕込む「酵母の元」のこと。「もと(酛)」とも呼ばれることもありますね。
ビールであればスターターというように小さい量から環境に慣れさせて、徐々に大きい量の仕込みにもっていく方法です。
日本酒では酒母の作り方も独特な方法が多く、それぞれおもしろい特徴があります。
酒母をつくる意味
発酵は、単に酵母を加えれば始まるわけではありません。
酵母がしっかりと増殖し、安定して発酵を進めるには、適切な環境が必要になります。
その環境を整える役割を持つのが、酒母 。
というのが日本酒的な考え方であると思えます。
環境というのは糖分量であったり、pH、その他諸々の条件で必要になります。自然発酵的な作りであればうなづけますが、そうじゃない現代でも酒母を作り続ける意義を探っていけたらなと思っています。
ビール的に考えてみれば、菌体数が少ないのであればもっと多い量を加えたらいいし、小さい量から培養するのはコスト的な意味合いや世代数的にベストな物を使いたいとかです。
日本酒では、酒母をつくることで雑菌の繁殖を抑え、発酵をスムーズに進める文化があるように思えます。これは、ビールやワインとは異なる、日本酒独特の発酵の設計といえます。
発芽玄米と麦芽、日本酒の発酵環境
ちょっと飛び火して、玄米の話。
ビールでは、発芽させた大麦(麦芽)を使います。
麦芽には糖化酵素が含まれており、デンプンを糖に変え、酵母が穀物からアルコールを作り出す準備を「自分だけ」で整えることができます。
では、米も発芽させれば、麹を使わずに麦芽と同じように発酵できるのか。
答えは、だいぶNO寄り。
発芽玄米はタンパク質分解酵素は増えるものの、糖化酵素は十分に生成されない。これは麦と米の生存戦略の違いだったり、デンプンの糖分組成(アミロースの割合)などが関係しているようです。
そのため、日本酒では発芽玄米のみで糖化を進めるのではなく、麹菌を用いて糖化を進める という方法が採られるようになったようです。
もうひとつ大きな違いは、発酵環境の整え方 だ。
ワインはもともと酸性の果汁を使い、ビールはホップの抗菌作用を利用する。
一方、日本酒は発酵を始める前に、酒母で雑菌の繁殖を抑える酸性環境をつくる ことで、発酵を安定させる。
発芽玄米のみでは酸性環境を作ることが難しく、アミノ酸も豊富なので雑菌汚染にも弱い。酒母を用いて環境を整える必要が「米」にはあったのだ。
発酵の環境を設計する
酒母の役割は、発酵を支える酵母を増やし、雑菌を抑えること にある。
そのため、酒母には強い酸性環境が求められる。
現代的に見える速醸酛(そくじょうもと) では、人工の乳酸を加えることで、短期間で酸性環境を整える。逆に生酛(きもと) では、乳酸菌を自然に増やし、酵母が安定して増殖できる環境をつくる。
生酛では、発酵の初期段階で乳酸菌が増殖し、酒母のpHが下がります。この過程で、耐性のない菌や野生酵母は淘汰され、酸に強い酵母だけが生き残る。これらが培養されていくことで、非常に酸の強い環境でもゆっくりと発酵させることができるのである。
また、非常に面白いことに低pH環境に耐えられなかった酵母は自己分解を起こし、アミノ酸や核酸を放出する。この自己分解を「Autolysis」と呼び、ワインではシュール・リー、ビールでも長期熟成系、日本酒であれば生酛特有の複雑な味わいにつながる可能性を秘めている。
ちなみにどうして面白いのかは後日解説するのですが、「だから酒母の意味があったのか!!!!!」と膝を叩いて感動したのを覚えています。
発酵の準備としての酒母
麦芽が糖化酵素を持ち糖化を進めるように、日本酒では麹が糖をつくり、酒母が発酵環境を整える。
酒母は、単に酵母を増やすだけではなく、どの酵母を活かし、どの菌を淘汰するのかを決める工程でもある。速醸では人工乳酸によって環境を管理するが、生酛では自然の発酵プロセスに任せることで、酒質に独自の要素が加わる。このあたりは「ナチュラルワイン」や「自然発酵ビール」のほうが複雑ではある、という点で理解しやすい。
酒母の段階で、発酵の方向性はすでに決まっている。
ここでどんな環境をつくるかによって、酒の仕上がりは大きく変わるようだ。
次回は生酛について。