田中さんの話を聞いていると、政治家というより、
ずっと「場づくりの人」なのだと感じます。
農業、飲食、流通、マルシェ、そして市議会。
どれも一貫しているのは、
人が主体的に動ける場をどうつくるかという問い。
「正しさ」よりも「流れ」を見る
若い頃、自然栽培やオーガニックに強く惹かれた時期もあった。
けれど今は、そこを絶対的な正義とはしていない。
「一周回って、何でもありがたいと思えるようになった」
農薬を使う・使わない。
オーガニックかどうか。
大事なのはラベルではなく、
どういう選択を、どういう意志でしているか。
極端な正しさは、人を縛る。
田中さんは、そのことを身をもって知っている。
愛は「与えられ続けてきた」という実感から生まれる
振り返れば、
自分はずっと人に助けられてきたと言う。
家族、仲間、地域。
お金だけではない、
時間や信頼、余白をたくさん与えられてきたと笑う田中さん。
「だから、次は自分が返す番やと思ってる」
子どもに与えるのは、言葉じゃない
田中さんが考える「子育て」は、
何かを教え込むことではないと言います。
「楽しそうに生きてる背中を見せるだけ」
安定していなくてもいい。
遠回りしてもいい。
好きなことをやって、それなりに生きていける。
その姿を見せることが、まずは自分から与えられる愛と。
「やってくれる町」じゃなく「やれる町」へ
田中さんが目指している野洲の姿。
誰かが何かをしてくれる町ではなく、
やりたい人が手を挙げたら、応援される町。
満月マルシェも、駅前にピアノを置いてみようという構想も、
すべてはその実験の延長線にある。
無理に巻き込まない。
やりたくない人は、やらなくていい。
関わり方も、熱量も、人それぞれでいい。
それでもやりたいと思った人を応援しやすい環境の町にしていきたい。
やりたいことを実現しやすい、そんな町に野洲をしたいという。
愛とは、主体性を信じること
田中さんにとっての愛は、
「人が、自分で面白がれる力を信じること」ではないかと感じました。
政治も、まちづくりも、子育ても、
すべて地続き。
楽しそうな大人が増えれば、町は自然と面白くなる。
田中さんは今日も、
その“楽しそうな背中”を見せながら、
野洲という町に立ち続けています。