産業農業でも、オシャレな農家でもない“生活農民”という原点
新潟は新潟市。 ブドウに桃、色んな果樹を育てる阿部農園の阿部健太郎さん。
< good food good mood > をモットーにしている阿部さんは常に朗らか。本当に朗らか。でもDJをやっていた過去もあって、人間というのは本当に奥深く、魅力的です。
阿部さんは、自分をこう語ります。
「俺は“産業農民”じゃなく“生活農民”として生まれた人間なんです」
それは“農業で稼ぐために生まれた家”ではなく、“暮らすために畑を守ってきた家”だということ、だと理解しました。
この言葉を起点に、阿部さんの話は家族の歴史、土地の記憶、変わり続ける自分へと広がっていきます。
戦後から続く「生活農民」の家に生まれて
阿部家は戦後の農地改革で土地を守り、“地主”のような立場から、普通の農家へと転じた歴史を持ちます。
「うちの祖父母は、家を潰さないために農家になった。だから俺は“産業農民”ではなく、最初から“生活農民”として生まれたんです」
生活農民とは、暮らすために畑を守る家。
お金になる作物ではなく、“その土地で生きるために必要なもの”を育てる生き方です。
さらに阿部家は、14代続く梨農家という一面も持っており、1代目は「日本で最古の梨栽培書」を書いた人物でもあるようです。
しかし彼らの家訓は意外にもこうです。
「果樹はギャンブルだ。これは“趣味の規模”に留めておけ。」
自然相手の作物は大きなリスクを抱える。だから“生活のために”やりすぎてはいけない。
この視点は阿部さんの価値観の根底に流れ続けます。
アメリカで知った“産業農業”という対極の世界
阿部さんは若い頃、アメリカの農家で研修を受けます。
「アメリカには“生活農民”はいない。いるのは“移民の産業農民”なんですよ。」
そこでは、土地に縛られず、大規模化と資本で農業を回す世界が広がっていたとのこと。想像に難くありません。その対比が衝撃だったと話します。
「俺は生活農民の家に生まれ、でも社会は産業農民の方向へ成熟していく。俺もどこかで“産業側”に寄らなきゃと思った。」
しかし、その道を必死に模索する中で、また“家族の愛”という原点へと戻っていきます。
愛とは“受け継ぎ、変わり続けること”
阿部さんの言葉の中で最も大切な核になっているのは、「家族の愛は、たとえ形が歪でも“愛”である」という価値観です。
「親父の考えが間違っていても、それは親父の愛の形だと思う。」
「暴力的な愛も、理想的な愛も、全部“愛”という本質では同じ。」
そして阿部さんは語ります。
「自分が変わることも、愛の形なんですよ。」
結婚し、子どもが生まれ、“変わらざるを得ない自分”を受け入れた時、「これもまた愛なんだ」と気づいたといいます。
この価値観こそ、阿部農園の営みの根底に流れ続けているものなのでしょうか。
愛とは本当に、常に難しいですね。 阿部さんの話を聞き、頷くことしかできず、そのまま一緒にお昼を囲ませていただきました。
本当に美味しくて、感謝でいっぱいです。
農業とは“厳密なゲーム”であり、同時に“アート活動”である
阿部さんは農業を、「自由すぎると苦しいが、制限があるから面白いゲーム」と例えます。
DJのセットリストのように、毎年の気候という“制限”が、逆に創造性を刺激する。
さらに、彼は農業をこうも捉えています。
「稼げなければアーティスト。でも、それでも一緒に仕事をする相手はちゃんと選ばないといけない。」
これは、“食べものをつくる責任”と“人と仕事をする誠実さ”の両立を意味しています。
阿部農園という“物語”を、これからも編み続ける
祖父母が守ってきた土地。生活農民としての価値観。外の世界で出会った文化。家族の愛。そして、自分自身の変化。
そのすべてが混ざり合い、阿部さんの農は連続する物語として息づいています。
「俺は変わっていく。それがまた、受け継いだ愛の形なんだと思う。」
愛を受けて、変化していく自分を受け入れて、見える世界はさぞ美しいでしょうね。