日本酒の醸造はビールやミードとはもちろん異なり、複雑で魅力的な側面が多い。このコラムではそれらの要素をなるべく理論的に噛み砕き、理解していくことにしたい。
前回の「酒母」をテーマにした。
どうして日本酒では酒母を作るのか?のANTELOPE的なまとめは、
- pHを下げる要因を米が持っていないので、外部の乳酸菌を取り入れる必要があった
- その環境下でも長く発酵していく酵母を選抜するために最初から少ない量で仕込む必要があった(酒母)
- 選抜に負けた酵母が死滅していく過程で出る旨味成分や雑味を「複雑さ」として表現することができるから
という点。
並行複発酵、という点も重要なのだがこれはもっとニッチな話題になるので一旦置いておく。掻い摘んでみると、「ビールみたいに最初から糖化完了させて発酵させたらよくない?」という話だが、これも意外と奥が深かった。
そして今日は「酒母作りの技法」を紹介していこうとおもう。
よく聞くけどよく分からないな、みたいなところを醸造的なアプローチで解説してみたい。今日は「生酛(きもと)」という酒母の作り方。
いってみましょう。
「生酛(きもと)」という発酵のデザイン
日本酒の伝統的な酒母造りのひとつ「生酛(きもと)」。
これは単なる古い製法ではなく、「発酵のデザイン」として、今もなお魅力を放ち続ける造りです(異論あるのわかるけど一旦無視して)。
「生酛」とは、人工的に乳酸を加えずに、自然の乳酸菌が増えるのを待ち、雑菌に負けない環境をつくりながら、酵母を育てていく手法。
酒母の仕込みは約1ヶ月のよう。長い時間をかけて、乳酸菌、酵母、その他の微生物が共生していく。
その最大の特徴は、強い酸味と、複雑な味わい。
どうして生酛の酒は、他の酒母造り(速醸や山廃)にはない独特の複雑さと酸味が出てくるのでしょうか?
その秘密を見ていきましょう。
低pH環境を生き残る"強い"酵母
生酛の仕込みでは、まず乳酸菌が酒母の中で爆発的に増え、pHを急激に下げる。どうしてそれが可能になるのか?
それは「酛すり」という技術にあります。
酛すりは、蒸し米・麹・水を均一に混ぜたものを、蕪櫂(かぶらがい)という木の道具ですりつぶす作業のこと。山卸しとも呼ばれます。
これにより米の表面積が増え、外部から乳酸菌が付着しやすくなります。これによる急速な乳酸生成を実現します。
その結果、低pH耐性のない菌や弱い酵母は次々と淘汰され、生き残るのは、酸に強く、発酵力の高い酵母だけになります。
「自然選抜」によって、酒造りに最適な酵母が育つわけです。
さらに、この環境を生き抜いた酵母が増殖し、アルコール発酵を進めていく。
酒母の中では、一方で死滅した酵母の細胞が自己分解(Autolysis/オートリシス)を起こし、アミノ酸や核酸などの旨味成分を放出する。
この酵母の「生と死」が、酒に奥行きと複雑味をもたらす。
速醸酛では、人工乳酸を加えて雑菌の繁殖を防ぐ量しか入れないため、酵母の淘汰がほぼ起こらない。もちろん起こすことも可能ですが、本来の技法の趣旨とずれてしまうような気もしている。
また、次回紹介する山廃酛では「酛すり/山卸し」を行わない分、米の溶解がゆるやかになり、乳酸の増加も穏やかになるため、生酛ほどの強烈な発酵環境は生まれにくい。
そして、もっと面白いことに「基本的に自己融解による旨味」は一般的にオフフレーバーであるということだ。何故かと言うと発酵不良の証拠だったり、大量に死滅すると旨味がこすぎてソーセージのような香りになってしまうからだ。
ただ、生酛のように低pHでは死滅していく酵母の量は必然的に増えてしまい、全部がソーセージのようになってしまいそうだ。
だからこそ、最初に「少ない量で仕込み、死滅しない酵母の選抜」をする酒母作りが重要なのだ。つまり、生酛でしか作れない酸味の強さと複雑な味わいは、選ばれた酵母だけが生き残り、酒母でのみ自己分解した少量の旨味が加わることで完成するのだ。
熟成が活きる、生酛の酒
生酛で造られた酒は、一般的に熟成向きとされる。
これは、仕込みの段階で生成された強い酸味や雑味が、熟成によって丸みを帯び、より深みのある味わいへと変化すると言われているからだ。
速醸酛の酒が「フレッシュな果実味」を楽しむ酒だとすれば、
生酛の酒は「長い時間を経て、ようやく完成するヴィンテージワイン」のような存在。
ちなみにどうして時間をかけると酸味がまろやかになるのか?
それは単純に「酸じゃない何か」に変わっているからだ。
実は「酸」と「アルコール」が反応すると「エステル」という香り成分に変わる。
酵母が生きていいれば時間をかけて進むこともあるし、酵母の存在がないときでも長時間の果てにエステル生成になることもある。
だからこそ、「高い酸」と「高いアルコール度数」のサケは熟成に向いているのです。
そして、この長い時間をかけた発酵の物語こそが、生酛という酒母造りを今もなお魅力的なものにしているのかもしれない。
ここまで。
面白いな、と思ったのはほんとに「自己融解」の量を調整するために酒母作りが必要なのかと思ったところ。
伝統の裏に隠された科学がこうやって現代で理解されていくのは本当に面白い。